えっちゃんの中国美大日記 第24回「劉商英インタビュー」

えっちゃん5

dotline

前回の798芸術区の橋芸術センターにて「行走」二人展の一人である劉商英にインタビューをした。
劉商英は1974年生まれ。中央美術学院付属高校から大学、院まで中央美術学院で過ごし、そのまま学校に残り教師となった。海外留学がはやっている中、最初から最後まで中国式アカデミックの教育をうけた彼の創作方法と若い世代の教育者として質問に答えてもらった。

製作中の劉商英

製作中の劉商英

なぜチベットへ写生に

江上:今回の二人展ですが、実は2006年にも石煜先生と展示をしましたね、今回また二人で展示をしてみていかがでしたか?

劉商英:私たちは外に出て写生するという伝統的な方法を使っています。石煜先生は私と比べると、インド、アメリカ、など行ってる国も多いですし、異なる地域のある種の生存力、文化と歴史の変遷にもっと注目していて、第三者として作品を表現しています。
私は場所を変えず同じ場所をぐるぐる何度も行き来して、とにかく文明や人間の多い場所から離れたい、もっと遠いところにいきたいという考えでチベットにいきました。4年間チベットを訪問することでもっと深く、自分の心の奥に歩み寄りたいと感じました。

江上:4回のチベット訪問でなにか変化はありますか?

劉商英:初めて行ったときは2011年の夏で、友達に誘われ最初はただ旅行で行ったんです。そのときに自然のすごさに圧倒されてしまい、芸術は本当にちっぽけなことだなと感じ、真剣に絵画に何ができるか考えるようになりました。もちろん前も考えていましたが、昔は絵画のスタイルやその流派の後ろにある背景にもっと興味がありました。一回目のチベットではいつも携帯している小さいノートに絵をかいて、写真を撮るぐらいだったんです。
二回目に行ったときは画材を持ってゆきました。車の中で高速に変化し続ける景色をできるだけシンプルにすばやく描こうとしました。それは標高が高いので、風が強く、雲の流れが速いのですぐに絵を描かなければ、数分後に景色がまったく別になっているのです。
2013年のときは前の2年間の作品で個展をするのが決まっていたので、チベットには行かず、アトリエ内で製作する予定でした。でも丁度一回目にいった友達がアトリエに説得に来て結局行くことに(笑)そこでは大きな作品を描きました。そのときに言葉では表現できないような何かを感じたのです。
4回目の今年のチベットへ行ったときははりきって今までで一番大きい6mのキャンバスを持っていきました。でも標高が高いなか毎日製作していたので、ある日意識が朦朧となって倒れてしまったのです。高山病でした。でもその後奇跡的回復のおかげでなんとかまた作品をえがくことができました。

江上:それは大変ですね。自然の厳しさでしょうか。

劉商英:でもそのときに和尚のような状態を感じたのです。前よりももっと静かで小宇宙というと大げさですが、そのようなものを感じました。
北京に戻った後、ドイツのキュレーターやフランスの評論家に話していたら皆さんびっくりしていて、そんな古い写生の方法を現在やっている人がいることにびっくりしていましたし、感激していました。

私が思うに絵を描くということは農民と同じで、天を仰いで、しっかりと大地を踏み、そうやってできた作品が完成したときは、成長した稲穂と同じなんです。最後の完成よりも、その素朴で自然な過程に強烈な満足感を私は覚えます。

江上:とても東洋的ですね。では今後も毎年チベットに行って作品を描きますか
劉商英:それは限らないです、無計画なので(笑)

なぜ海外留学の波に乗らなかったのか

江上:では劉先生は中央美術学院付属高校から大学、院にゆき、そのまま学校に残り教員になりましたよね。海外留学がはやっている中、最初から最後まで中国式アカデミックの教育を受ける選択をしたのはなぜですか。

劉商英:90年代というのは中国の経済が発達していませんでした。その中で海外に留学するにはとてもお金がかかるのです。また芸術系は奨学金ももらえませんし、後にアメリカにメディアデザインの留学をしにいった弟が事故で亡くなってしまうのも関係して、海外には留学しませんでした。

江上:劉先生は父が有名な水墨画家、劉巨徳で、母親も水墨家の芸術一家ですね。

劉商英:小さい頃はサッカー以外といったら勉強よりは絵のほうが好きだったので中央美術学院の付属高校へ通いました。でも近すぎると興味がないもので、水墨ではなく、とにかく西洋のコンテンポラリー、油絵に憧れていました。父親の先生が吴冠中というフランスに留学した先生で、中国の現実主義画家の徐悲鴻たちとは違って、もっと平面的なんです。その影響もあって、マティスやセザンヌはすきですね。

劉商英作品<土林一号> 2014年

劉商英作品<土林一号> 2014年

江上:劉先生は30歳で院を卒業して、学校に残って教員になりましたが、教育の上で上の世代の先生とギャップは感じましたか?

劉商英:それは複雑な問題です。どの工作室にも基本先生の間には10歳ほど年齢が離れています。そして特に中央美術学院は伝統をとても重んじる学校ですから、この伝統を伝承していくということはずべての教員が意識していることです。でもその中でそれぞれの先生の解釈や言葉の違い、そして振れ幅の違いがあります。

劉商英作品 <玛旁雍错30号>2014年

劉商英作品 <玛旁雍错30号>2014年

江上:違いはどこでしょう?

劉商英:60,70年代は市場がなく、現在は美術市場があり、芸術も多様化しているところでしょうか。

江上:写実の教育に問題点はありますか。

劉商英:基本的に授業中は造型能力や色彩、写実の系統を用いてもらい、授業外は自分の創作をする。この写実というのがテクニックの習得ではなく、写実という限られた様式で、脳と手の連帯関係の方法を学んでほしい。それを会得したらきっと他のスタイルにも応用できる。

江上:限られた様式は、絵画本来の関係でしょうか。

劉商英:そうです、絵画本来の存在関係の規律です。でも学校はもう完了したシステムしか教えられません。だから芸術というのは教えられないのです。最終的なスタイルは結局生徒自身に見つけてもらうほかありません。でもそれがわかる生徒はほんの一握りです。ほとんどの学生は卒業後わからなくなってしまいます。

江上:芸術は自分で創造してゆくほかないということですね。でも伝統を継承しながら新しいものを見つけるのは決して簡単ではないですが、劉先生の作品もその一例の作品ということで学びました。ありがとうございました。

劉商英のアトリエ

劉商英のアトリエ

インタビューをする記者

インタビューをする記者

江上 越(Egami Etsu)
1994年千葉市生まれ。千葉県立千葉高校卒業後、2012年中国最難関の美術大学・中央美術学院の造型学院に入学。制作と研究の日々のかたわら、北京のアートスポットを散策する。ここでは北京のアート事情、美大での生活などをレポートしてもらう。