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えっちゃんの中国美大日記 第4回「修復の翻訳をしにいく」

えっちゃん4 dotline 中国の修復事情と展示事情 ■いよいよ地下へ 「半裸女像」の修復にはおよそ8ヶ月かけていると先生は言っていて、その間ほとんど研究室にこもりっぱなしで疲れると話しながら先生は地下に連れて行ってくれた。 この美術館は地下2階分があり、地下1階に事務室、徐先生の修復研究室は地下2階にあった。他の地下2階のスペースはほとんど所蔵品の倉庫。毎年優秀な卒業作品を所蔵するので、当時十分だと思われていたスペースは今は足りないと話していた。あと4~5年はもつだろうけれども他に、作品を所蔵品の倉庫を立てる必要がる。これはどこの美術館博物館にもおこる同様の現状。 廊下は少しひんやりしていて、黄色い注意書きをしてる謎の機械がたくさんおいてあった。 修復の翻訳をしにいく2_html_596aa2a1 図1.地下2階廊下の様子1 修復の翻訳をしにいく2_html_16f56b9f 図2.地下2階の様子2 修復の研究室はめったに入れないので気分があがる!厳重なドアを徐先生のIDカードであけて中に入った。部屋はそんなに大きくなく、たくさんの機械がおいてあり、いかにもザ・研究室!という感じ。電子コンロとお鍋もあったので私が「ここで料理もできるんですね」と話したら、徐先生は「これは料理というより、膠を溶かしたり原料を混ぜるためにつかっているんだ」 修復の翻訳をしにいく2_html_m6040754e 図3.修復研究室の中 この研究室は他にも先生の助手の生徒と、友達が2人、本当に人手が足りないときに呼ぶくらいで、美術館が正式に雇っているのは徐先生1人だけ。 ■中国の保存修復事情 修復の分野は大型の機械が必要なのでとてもお金がかかる。それに一度修復すればよいというものではなく、継続的になんども修復するから経費がとてもかかり、中国の北京大型美術館以外は修復専用の部屋はないのではないかと話していた。中央美術学院美術館は修復の人は1人、中国美術館は5人しかいない。 1960年代ごろからアメリカ、ヨーロッパ、日本の美術作品の修復も欧米から勉強したものだけれども、日本の絵画と中国の絵画は共通するものが多い。特に修復は経験が物を言うので、先に修復の分野に取り組んだ日本に勉強することが多い。そして日本人はすごく真剣に真面目に研修している。日本は「保存」修復という言葉を使うけれども、中国は「保護」修復とつかう。意味からしても音からしても、中国も「保存」にしたほうが良いのではないかと話していた。修復の仕事をしていると、個性が出せない、疲れる、などのマイナス面がよくみえるからあまりオススメできないな~と笑っていた。 部屋にあった大きな油絵作品があったのでそれも修復するのかな、と疑問に思っていたらこれは中央美術学院の先生の作品で修復を依頼されて現在修復中なのだとか。この先生とは私の基礎部責任者の高天雄教授で、彼は軍人絵画の一家にうまれて、軍人になったあと、中央美術学院の附属に入ったらしい。そして附属の校長になり、今は中央美術学院にて教授をされている先生。 ■小さなうそが全てを変えた 徐先生は附属を卒業後すぐにロシアのサンクトペテルブルク美術大学(Repin Academy of Fine Arts)に7年間留学。ロシアの美術大学はイタリアに似ている。そこでロシアを選んだのは、近くて、経済的にもヨーロッパより安いこと。すぐ近くに世界で最も油絵所蔵品数が多いエルミタージュ美術館があったということ。学生は入館料が無料なので徐先生はよく観にいったらしい。 最初の専攻は油絵だったが、名画を模写する授業が修復専攻の学生しか受けられないということで、修復の学生だと小さなうそをついて授業を受けていた。そしたら何年後には学校全体が彼が修復の生徒だと思って、修復の研究室に呼ばれたのだとか。そんなことありえるの!?と驚きながら私は聞いていた。 先生の学年で修復を勉強したのは彼1人。実際、修復研究室も学校のなかで5人しか学生がいなかったのだとか。このとき丁度中国の中央美術学院の美術館に修復できる先生が必要ということで中国に帰国して今に至る。 ■展示方法の工夫から見る中国の現状(雑談) 今の中国は変化が早すぎて着いていけない。美術館は展覧会数が多いし、今回の展示も額の準備は1日で決めたし、展示にも1日しかかけていないので会場に雑なところが見えるのは、時間がなくてそこまで気を配ることができないということを理解して欲しいと徐先生は話していた。 そして今は情報が氾濫しすぎているし、ネットが人々に与える影響が大きい。みんな画像などで長い文章を読みきる気力がなく、情報の砕片化が進んでいる。だから今回の展示もいかに見ている人に文章、物語を呼んでいただけるか苦心した末、文章を短く切って、道に沿って、歩きながら物語が進んでいくようにしたという。 修復の翻訳をしにいく2_html_1f7cc72f 図4 工夫された展示風景 先生自身、本を小さい頃はすぐに1冊読めたのに、今は読むのがしんどい。日本は縦文字がまだ残っているよねと聞かれたので私は日本の教科書は基本、国語の教科書以外は横文字で国語は縦文字ですよと答えたら、中国もそうなるべきだね先生は言った。 ■肝心な翻訳は…… 渡された資料は東京藝術大学の1900-1910年の卒業生の自画像を21世紀に修復した例がのっている資料集。 専門用語がズラ~~~~~っと永遠にならんでいるのが1冊の本の量だから、こりゃぁ大変。 でも先生が材料の名称がわかるように大体で訳せばよいし、時間のあるときに訳してとのことなので、引き受けました。 ■番外編 中国では名前の変更可能!? 徐先生は附属にいるときに名前である「岩」を「研」という名前にかえたときいて、中国 では名前をかえられる!????とビックリ! 今は昔ほど好きなように変えられないけれども、要は名前を変える場合、申請後に、自分に関する書類の部署にいって名前変更手続きをしにいけばよいらしい。だからできるだけ若いときのほうが書類も少ないので名前を変えるのが容易なのだとか。 また中国では名前を変えるとその人が新しくなるという風水的な考えがある。きっと名前を変えることで心理作用が働き、気持ちが変わるんじゃないのかなと思った。 もはや眠れる森の美女!! 江上 越(Egami Etsu) 1994年千葉市生まれ。千葉県立千葉高校卒業後、2012年中国最難関の美術大学・中央美術学院の造型学院に入学。制作と研究の日々のかたわら、北京のアートスポットを散策する。ここでは北京のアート事情、美大での生活などをレポートしてもらう。


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