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えっちゃんの中国美大日記 第15回「中国美術界の仕掛け人 第3弾:譚平」

えっちゃん5 dotline 中国美術界にて活躍している人、注目の人を紹介する「中国美術界の仕掛け人」シリーズとして、今回は譚平を紹介します。彼は私の通っている中央美術学院の副学長で、専門は版画からデザインまでと中国の現代アートを導いてきた芸術家でもあります。今回は彼の生涯も含めて、芸術家としての譚平、教育者としての譚平、また中国の現代アートをどう見ているのかという3つの方面で伺います。 etsu20141010a 赤の生命、青の幻想 ―芸術家としての譚平 江上:譚平先生の作品は201211月の中国美術館での個展で見たのですが、細胞のようなものが青、赤を基調として描かれていました。私は個人的に「卵」という青い作品が好きなのですが、赤の時代、青の時代といえばピカソを思い浮かべますね。 譚平:「卵」は小さい作品ですね。あの時期は生命に関する作品を作っていました。人、細胞、生命、この青い作品の前には赤い作品を、赤と青を交差するように制作していました。赤は生命力が強くて、生きるという意味がありますが、青はそれに加えて幻想的な、想像的な意味合いが強いですね。展覧会では基本的にこの赤と青の絵を両方展示するようにしています。それは人間の両面性を表しているようでもあり、生命、本能、に対して想像、人間の知恵でもあるでしょう。表現するときにはモチーフで表現する方法以外にも色を使って表現する方法がありますね。人によってはひとつの色に傾倒する作家もいれば、常に色彩が変化している作家もいます。私の場合はいつも青と赤が同時に交錯する、大学生のときからずっと私の制作に伴ってきた二つの色、対比色がすきですね。 江上:ええ、描いている「生命」というテーマですが、私の年齢にとってはまだ未知といいますか、それに対して深く考える機会が少ないような気がします。譚平先生がそれを表現しようとしたきっかけを教えていただけますか? 譚平:私の父が10年ほど前にガンになったことは、私にとても影響があります。今では父は元気なのですが、あのときの感覚はいままでに経験したことのないものでした。当時絵を学んでいるときは、画面上の色、点線面などを考えるのが多かったのですが、あのときに、芸術が表現しているものというのは一番重要なのは形式ではないということに気付きました。芸術というのは、人が生命に対する理解の仕方なのだと悟ってから、私の作品はもっと直接的になりましたし、色もどんどん強烈になりました。生命に対する経験的な理解の仕方でもあり、今までの作品との違いでもあります。 江上:なるほど、譚平先生からはドイツ表現主義のエネルギーを感じます。 譚平:そうかもしれませんね。やはりアーティストにとっては、そのときの自分の感覚をストレートに表現しているかどうかが重要なのではないでしょうか?
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譚平  無題 アクリル 200×300cm 2014年 撮影:李見涛

現代アートの実験場としての中国 江上:譚平先生は中国現代美術界のリーダーの立場から、今の中国の現代アートをどのように見ますか? 譚平:まず中国はここ30年間で変化が著しいですね。西洋の新しい概念が入ってきて、国際的にも現代アートの流れはとても速いです。情報化の時代とネットを通してなんでもわかってしまう、多くのアーティストが国際的な芸術の場にも参加していますし、それは現状でもありますが、世界のレベルと足をそろえるには中国の現代アートはまだ発展途中といえます。でも新たな側面から見ると、中国は大きな現代アートの実験場でもあります、というのも社会の変化が最も速く、複雑だからです。この短い間に多くのものが混雑していて、このような背景にあるときが、実は一番現代アートの発展には重要な転機でもあります。多くの外国のアーティストがこの地に来るのも、ここが人の心を動かすものがあるということです。私はドイツやパリ、イタリアにも行きましたが、多くの場所が大きな変化がありません。変化が小さいというのは、時には芸術の発展を誘発する要素に欠けているのではないかと思います。中国の美術界はいま、複雑で矛盾があるので現代アートが展開するおもしろい場でもあります。 江上:中国現代アートの特徴は複雑性と変化にありということですね。発展途中の中国現代アートの中で、どのような問題点があると思いますか? 譚平:中国の多くの作品が成熟しているとはいえませんが、とても面白い作品が多いです。学校内にいると、先生もそうですが、着眼点が限られ、古典主義の教育の脈絡がまだ残っているといえますね。でも卒業した生徒が社会に入ると、インスタレーションや実験的なものをつくるようになります。それは西洋と似ているところがあって、西洋の学校もある種の保守的な部分があります。 江上:確かにこの間は実験芸術系が造形学院から独立し、実験芸術学院となりましたよね。 譚平:中央美術学院は常に否定的な方法を選ばぬようにしてきました。現代主義が昔のものを否定し、展開したような形をとるのではなく、共存できる方法、例えば古典主義、中国画、伝統彫刻と一緒に実験芸術もある、多様な環境を生徒に提供したい。生徒自身に選択する自由を与えて、好きなものを学べる環境でありたい。 江上:とても面白い考え方ですね。 譚平:ヨーロッパにも教育の方面では現代アートがあって、伝統のものは技術工作室として保留されています。例えば、印刷方法も今はコンピューターですが、昔の手工的なものは工作室に残されています。本当に人の手を通して生み出されたものは代替が利きませんし、その技術工作室を通して、昔の技術と現代のアイディアを合わせて制作しています。 江上:なるほど、譚平先生がおっしゃたように今は情報化の時代でもあり、大量の情報が西洋のものも含めてインターネットを通して入ってくる時代です。その中で中国が伝統と現代アートの両方を発展する過程の中で、海外のものとの衝突はありますか? 譚平:以前はすべて受け入れる時期がありました。西洋の現代アートはすべてよしというのがありましたが、今は選択の時代ですね。国と人でもおなじで、この多くの情報に対して選択しなければなりません。もしグローバル化をいうならば、欧米、東洋、アフリカのどこでも文化の養分があるので、視野が広くなければなりません。いままではヨーロッパ、アメリカしか視界になかったものが、静かに考えてみるとアジアのインド、日本などの多くの国が面白いと気付き始めています。
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譚平 無題 アクリル 200×300cm 2014年 撮影:李見涛

グローバル化、情報化の中でのアーティスト 江上:グローバル化のなかで、多くの画廊も中国の作家を取り上げていますが、譚平先生からみて中国現代アートの問題点はどこにあるでしょうか? 譚平:やはり問題は発展が早すぎるところにあると思います。多くのものが本当に成長する前に促成栽培のように、市場化しているところ。ひとつの流派も、人もそうですが、過程と時間が必要です。若いころに苦い経験をしたからこそ、晩年評価されるというのがありましたが、今の現代アートは少し芽があるとすぐに市場化してしまいます。現在の多くの若い現代アート作家は値段が高くなって、すぐに消えてしまった人もいて、変化が速いので、短命という問題があります。現在の中国の都市の発達にも似たようなところがありますね。 江上:今中国では若いアーティストにも注目していますよね。 譚平:それは問題でもありますよね。今の芸術家にとっての推進力、原動力は、経済、市場の観点になってしまっている。若いアーティストに対する過剰な期待は多く、展示と同時にどのように売るのかが目標になっている。このようなものですと、若いアーティストがみんなどうしたら売れるのか、どのような作品が売れやすいのかと考えてしまいます。環境が、将来作家の表現がどうなのかではなく、観衆の好き嫌いを考えるようではこのアーティストを駄目にしてしまう。 江上;アメリカの60年代消費社会のようですね。時間も流動性も速く、芸術も消費されているようですね。ですが芸術家も生きていかなければなりません。多くの芸術家がその矛盾の中で葛藤していると思いますが、何かよい方法というのはあるでしょうか。 譚平:それは分けて考えることが大事だと思います。若い作家は苦しい生活をする覚悟をする。芸術家自体、とても裕福な職業ではありませんし、他の仕事を通して収入を得たりしています。外国の当時の同級生は、新聞配達や他のアルバイトで生活費を稼いで、残りの時間で作品を作っていました。彼らにとって売買は重要ではなく、一見まったく意味のない芸術を作っていました。一見まったく意味のない芸術を造る人というのは必ず一種の冒険心と探検精神があるといえます。何を作っても市場を考えるようでは、それらはなくなってしまいます。 「生きる」ということは私たち中国人にとってあまりにも貧困だった時代があり、貧困を恐れてしまい、裕福になると中国の作家はすぐに大きなアトリエを作ります。海外の作家はとても小さいアトリエで制作できればそれに満足しています。いろんな分野でとてもシンプルですよね、芸術を続けられればそれでいい。 江上:評価が多様化している芸術の中で、一般の人にとっては数字、値段が一番わかりやすい基準であるのも問題ですよね。 譚平:実際数字というのはとても不確かなものです。オークションを見てもわかりますが、本当のアーティストは芸術を人生の理想、追求の対象として、それを熱愛して苦労している人ではないでしょうか。今の人は芸術が好きなのではなく、お金が好きなのではないのですか。 これからの現代アート 江上:ではこれからの中国の現代アートはどうなりますか? 譚平:近い未来では西洋の現代アートとは違う中国独自の現代アートが生まれるでしょう。いままでは西洋からの影響が多かったのですが、現在アートの中心が東洋に赴き、東洋文化を核とした新しい現代アートが生まれるのではないでしょうか。そのことにもう気付いているアーティストも多々ありますが、まだ流派というのは生まれてきていません。当時のアメリカのように、元来ヨーロッパの影響がありましたが、その後インスタレーションやハプニング、アメリカ文化から生まれたアートが出てきましたね。私も欧州で勉強しに行き西洋の教育を受けましたが、生まれ、育ちは中国という混合した環境にいました。 現在の人はとても自覚的に自国の文化を顧みています。90年代の現代アートはアメリカに近いのが評価されていましたが、今は中国から見つけ、そこから現代アートが生まれて成長し、継続していくものが世界を影響していくのではないでしょうか。 美大もだんだん総合的に ―教育者としての譚平 江上:ところで、先生は中央美術学院の副学長でもありますね。 譚平:中央美術学院はずっと美術専門の大学でしたが、今は純粋な絵画から総合的な大学になる傾向があります。デジタルメディア、デザイン、建築などととても総合的になってきていますが、これは国際的な変化でもあるでしょう。今海外の美術大学を見てもみんな総合的ですよね。今では芸術は生活方法のひとつであって、それら芸術がすべての生活と関係しているので、デザイン、建築など、社会と関係することで発展していくことができる。また多くの美術大学が総合大学と合併していますよね。中央美術学院もこの10年間で総合的になりましたが、実際にはデザイン、実験芸術が加わったことで大きな変化はありません。 江上:先生は大学の管理職と共に大学院の博士課程も指導し、教育に多く携わってきましたが、一番やりがいのあることは何ですか。 譚平:やはりそれはいい生徒を育てることです。今まで活躍している中国芸術家のなかで中央美術学院の卒業生が最も多いことはよく知られています。特別なことではなく、今まで数多くの優秀な先生が心力を注いだ結果でしょう。これは中央美術学院の伝統であるし、我々の誇りでもあります。優秀な先生こそ優秀な生徒を育てるから、先生自身も常にレベルアップしなければいけません。プレッシャーがありますがやりがいもあります。 美術教育の壁と方向性 江上:中央美術学院の改善点はどこでしょう? 譚平:そうですね、すべての先生が新しい現代主義を受け入れているわけではないので、いくらかの先生が保守的であることです。先生というのは一番新鮮なことを受け入れる立場であるから、先生自体も社会の中での活動があるべきで、展覧会も開いて社会と接することが必要です。 江上:中央美術学院は若い先生も多く、日本の大学とは異なるところも多いような気がします。 譚平:日本の教育も今は変化がゆっくりですよね。ヨーロッパも同じで、制度がそろってしまっている。重要なのは若い先生が展覧会などを通して社会に入って、自分をステップアップさせること。 江上:では今の新しい時代において、教育はどの方向にいくのでしょう。 譚平:これは世界的な問題ですね。昔のアナログの絵画に対して、今の現代の若い人はデジタルのなかで生きている。その中で逆に欧米では数字を拒否する人が出ていますよね、それも生活に対する態度のひとつです。学校の教育も同じで、アナログとデジタルの二種類を両方常に発展させることで、デジタルメディアも、デザインも、芸術の発展を促進すると共に、伝統をも深く研究していきます。それで生徒も自分の興味に応じて勉強できる。実際デジタルメディア、新メディアの発達は現代社会においても生活水準を上げるよいものですよね。だからこれから世界も個人の選択で選べる多様な世の中になるのではないでしょうか? 江上:ええ、面白い時代が来ていますね。今日はありがとうございました。 インタビューを終えた譚平は車ですぐに次の仕事場に向かった。このスピードが中国を動かしているような気がした。
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譚平にインタビューする記者

江上 越(Egami Etsu) 1994年千葉市生まれ。千葉県立千葉高校卒業後、2012年中国最難関の美術大学・中央美術学院の造型学院に入学。制作と研究の日々のかたわら、北京のアートスポットを散策する。ここでは北京のアート事情、美大での生活などをレポートしてもらう。


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